注目すべきは、これらの鉄片の中に、鉄の中でも特に強靭な「はがね」があるということです。当時の強国エジプトと戦って勝利(カディッシュの戦い、BC1275)するほどの隆盛をヒッタイトが誇り得たのは、鉄の武器と戦車ゆえであったことは周知の事実ですが、それを支えた鉄は、普通の《炉の鉄》ではなく、古代世界において《良質の鉄》と呼ばれた「はがね」だったのです。
カマン・カレホユック遺跡は、トルコの首都アンカラの近くに位置する楕円形の丘で、紀元前2300年から約4000年にわたって営まれた集落跡が、層を成して存在しています。 日本のアナトリア考古学研究所が1985年に発掘を開始。以来、作業は2008年で第23次を迎え、毎年のようにアナトリアの文化編年史を書き変えています。
この発掘により、人工鉄の起源は少なくともヒッタイト以前にまで遡れることがわかってきました。ヒッタイトは紀元前2200年~紀元前2000年頃にアナトリアに流入してきた印欧語族の民族ですが、その先住民族であるプロト・ヒッタイトがすでに開発していた鉄の生産技術を我が物とし、それを発展させることにより、大帝国を築き上げました。時に紀元前1400年頃のことです。
カマン・カレホユック遺跡の構造は 図1のようになっていますが、それまで世界最古とされていた「はがね」(鋼)は、同遺跡第Ⅲa層出土の鉄片、即ち紀元前1300年~紀元前1100年頃のヒッタイト帝国時代のものでした。ところが2005年の分析結果は、「世界最古の《はがね》」の年代を一挙に500年、そのわずか3年後の2008年には更に300年も引き上げてしまいました。人工鉄の生産は、従来考えられていたよりも遥かに早い時期に始まっていたのです。
カマン・カレホユック遺跡から出土したこれらの鉄片に関しては、昨年、愛媛大学古代鉄文化研究センターが開催した国際シンポジウム「鉄と帝国の歴史」(2008年11月29日)で詳しい報告がなされています。同遺跡で長年発掘調査を続けられている大村幸弘(さちひろ)・アナトリア考古学研究所所長の講演によれば、大帝国を築き上げ、大きな社会変革を成し遂げた原動力は、単に鉄を有していたからではなく、「はがね」の生産を可能にする最先端のハイテク技術の保有にあった、ということになります。
●ヒッタイトの遺跡とその出土品は、こちらからどうぞ。
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